こんにちは。
お読みいただきありがとうございます。
もうすっかり春ですね。
私は寒いのが苦手なので、さんさんと日差しが降り注ぐリビングを見るだけでホッとします。
このブログを始めて、早いものでもうすぐ1年が経ちます。
始めた当初は、正直、気持ちの逃げ場所にもしていました。
人生は本当にいろいろなことが起こるわけで、
いじめ、うつ病、婚約破棄、さらには妊娠において悩んだり悲しい経験をしたり…
その渦中ではニ度と立ち直れないと毎度思っていました。
でもいま、私は毎日よく笑って、それはそれは幸せに暮らしています。
きっと、環境や場面における大きな変化がいまの私になるきっかけになったのだと感じています。
そこで、かつての私を今の私が振り返ってみたらどう感じるかなといった
今の目線での振り返りを、何回かに分けてお話してみたいと思います。
はじめに
まずは、私のいた環境、基礎みたいなところをお話したいと思います。
両親の夫婦仲や姉と私との姉妹仲、そして一部の親族と私との関係は良くありませんでした。
幼い頃の私はとーっても口数も表情の変化も少なく「お喋りができない子」ではないかと
親族だけでなく病院の医師や看護師にも本気で心配されるほど静かな子でした。
一つ上の姉は、私とは正反対でうるさいくらい喋るし喚く
まさに「親が手を焼く子」という感じでした。
そんな姉を見て
なんでこんなにわがまま言えるんだろう。
と不思議に思っていた記憶があります。
今の私は人とお喋りするのが好きで、人と関わる仕事を選んでいたくらいですから、
かつての静かすぎる自分を振り返ると他人事のように不思議に思いますし
親族と久々に会うと
こんなに喋る子だった?
なんて言われますww
もしかしたら、こういった変化もなにかきっかけがあったのかもしれません。
両親の不仲と関わり
既述の通り両親は不仲で、頻繁に喧嘩をしていました。
その声で目が覚めたり、リビングに行くと空をものが舞っていたり、
下手に居合わせるとこちらにふっかかってきたり…。
そんな感じなので、苛立たせないように気配を出さないようにと常に気をつけて
静かに過ごしていました。
当時の私は、本当に両親が怖かったので甘えたり駄々をこねたりすることが出来ず、
心配をかけることも絶対してはいけないと思っていました。
出かけた先で同い年くらいの子どもたちの様子を見ると、
あんな困らせて怒られるぞ。
と思いヒヤヒヤしてばかりで、子どもらしくない子どもだったと思います。
また、母が小学校教諭でしたので小学生の時は下手なことをすれば母に伝わってしまうと
ビクビクして学校生活を送っていたのと、だからこそ「いい子」だったからか
いわゆる「問題児」の面倒を見させられることが多かったです。
高校生になると思春期を迎え、父と3年以上1言も口をききませんでした。
その頃から、両親に対して怖いと感じることは無くなっていきました。
ちなみに、両親は勉強に対してシビアでした。
テストの結果が良くないとリビングにそのテストを貼られ、
良くなるまで自室で勉強・外出禁止とされましたね。
細かく書けばあんなことやこんなことがあったともりもり膨らみますが、この辺にしておきます。
今思えば、両親があんなにイライラしたり怒ったりしていたのは、
もしかしたら年齢的にも仕事の環境的にもストレスを抱えやすい時期だったのかなと思います。
そんな両親との付き合いは、今となっては嘘のように変わりました。
夫婦仲は相変わらず悪いですけどね。
私が結婚する前は父と毎週末ドライブに行きましたし、
母ともいろいろな場所へ旅行や買い物に行きました。
冗談を言い合ったり、強い言葉で両親に意見することもあります。
旦那さんは、過去の両親と私の関わりをよく知っているので
昔と本当に変わったよね〜。
とよく言っていました。
幼少期常にビクビクして過ごしていた私自身が、
時を経て変わったことも関係しているのかもしれません。
小さい時なんであんなに毎日毎日喧嘩してたの?
と結婚してから父に聞いたことがあります。
理由は子育てについての考えの違いが主だったようです。
共働きでの子育て、大変だっただろうなぁ。よくやってくれたなと感謝しかありません。
姉妹の不仲
姉妹関係は、物心つく時から今に至るまでずっと私が姉に嫌われています。
理由はわかりません。
静かにしていても突然飛び蹴りをされたり、意地悪されたりしましたし、
家の外に出れば他人のふりをしなければならないので時差で車から降りたり、
話しかけるだなんてもってのほかでした。
お前を妹だとも、お前の姉だとも思ったことは1度もない。
戸籍上仕方なくそうなっているだけで、お前はただの同居人だ。
そのため、両親だけでなく姉に対しても苛立たせないように常に構えていました。
今でも対面で話したり、電話をするなど関わりを持つ時は緊張してしまいます。
ですが、とっても幼い時の写真を振り返ると仲良く肩を組んでいたり、
手を繋いで楽しそうに遊んでいたりするので何かきっかけがあったのかもしれません。
ただひたすら私のことが嫌いなんだと思っていた姉ですが、
私の結婚式では誰よりも私の写真をたくさん撮ってくれたり、
いろいろ事件が発生したあの結婚式で、説明に回ってたくさん動いてくれていました。
▼いろいろあった結婚式の話はこちら
過去の記事でもお話していますが、私のうつ病に真っ先に気付いたのも姉です。
しっかり顔を合わせているわけでも、話すわけでもないのにすごいですよね。
何故嫌われているかわからないし、いまだに怖いし、接点をもつのを避けてしまうけれど、
でも私には姉がいてくれて良かったと思っています。
一部の親族との関係
親族のある人(Aさん)からは、従兄弟と比べられ、姉と比べられ、
「出来ない子」のレッテルを大人になるまで貼られ続けました。
たとえテストで100点をとっても、表彰されても
・従兄弟は学年で1番
・姉はあなたより運動神経がいい
エトセトラ…
と、必ず何か比較対象を持ち出して蹴落とされました。
何クソ精神でできることを頑張っても、私が褒められることはありません。
やりたくなかった中学受験(大学受験も然り)に合格しても、
姉は頑張ったのにあなたは本当出来ない子だね
第一志望の業界に就職できても
アルバイトでもできるような仕事で恥ずかしい
と言われたり…。
私だけでなく、友達の子どもや孫に対しても従兄弟や姉といった比較対象を持ってきては
相手がどれだけ劣っているかをペラペラ喋っているのですごく苦手でした。
小学生の頃は共働きの両親の代わりにAさんが頻繁に家に来てくれていました。
ただ、些細なことでも困らせることをすれば両親に報告されてしまうので
なるべくおとなしく過ごすように心がけていました。
私自身、Aさんに常に監視されているような感覚があり私に何も起きていなくても、
従兄弟や姉に何かが起こると私を呼び出しては比較し貶されるという感じでした。
両親よりも一緒にいる時間が長かったからこそ
「私の人生は全てにおいて失敗」という思いが根深く居つきました。
その一方で、こんな私をいつも「すごい!」と褒めてくれる人(Bさん)もいました。
成績が伸びたり(Bさんは勉強ができなくたって死にはしないんだから頑張らなくてもいいと思っている)、
表彰されたりすれば私を抱きしめてくれましたし、受験に失敗しても
よく頑張ったじゃん!合格するのはすごいことだよ。
やっと終わったんだし美味しいもん食べよう。
と褒めてくれましたし
あなたは可愛くてとってもいい子。
やりたいようにやっていいのよ。
といつも言ってくれました。
ダメだと思っていた自分のアレコレを「それでいいんだよ」と認めてくれる言葉が、
私は涙が出るほど嬉しく、ありがたく感じました。
おわりに
私の周りの人との関係を簡単にお話しましたが、恨んだり嫌ったりといったことは
まったくありません。
むしろみんな好きですし、心から感謝することばかりです。
ただ、こういう環境が私自身の自己肯定感の低さや完璧主義さをぐんぐん成長させ、
うつ病の発症における原因の一つになったのではないかとも感じるのも事実です。
今回は私の幼い頃の話をメインで綴りました。
私自身が変わっていったきっかけや出来事についてはまた後日お話していきたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。