こんにちは。
ご覧いただきありがとうございます。
今回は上司から出勤禁止を言い渡された後、初めて病院を予約するところから
復職の許可が降りるまでのお話です。
▼休職となるまでの仕事でのお話はこちら。
病院
予約
上司が見つけてくれた10件の心療内科のうちから予約を取る際、2つに絞って電話をかけました。
第一希望のA院は、新規空枠が2ヶ月先と言われてしまい
第二希望のB院も1ヶ月後なら入れられるとのことでした。
ただ キャンセルが出たら早い日に動かせるとのことで、一旦 B院に予約を入れました。
後日改めてA院に電話してキャンセルが出ていないか確認すると、
看護師さんが電話をかわり今の私の症状を聞いてくれました。
キャンセルはないけれど、1ヶ月後に早められるとのことで一旦予約を保留にしました。
B院に電話すると 前日に1枠空きが出たようで、3日後の予約に変えることができました。
まさかこんなに心療内科の予約がとれないとは思いませんでした。。
診察
病院では まずカウンセリングから始まり生い立ちや家族との関わり、
また仕事のことなどを時系列に沿って話しました。
話しているうちに、それまでは自分ではなんとも思っていなかったことが
実は辛い思い出だったと感じるところもあり所々で涙が流れました。
その後、看護師さんに採血をしてもらい1週間以内に結果を教えてもらうことになりました。
うつ病診断
結果が出たとの電話をもらい、病院に行くとうつ病と診断され休職指示が出ました。
休職するとなると、会社へ提出する診断書が必要になり これが自費のため高くて…
自分は仕事を休みたくないのにお金を払わされることに納得がいかなかったです。
さて、うつ病での休職には制限がありました。
それは、主治医の出した休職期間中は仕事と乖離して、家でのんびり体を休めることです。
そのため、特定の上司以外の社員と連絡を取ることは禁止とされました。
もし休職期間を終えても主治医が許可を出さなければドクターストップで休職延長となります。
休養中
前期
休職してから数回、上司からたわいもない電話が来ていました。
電話のたびに「復職させろ」と迫っては、仕事が気になるうちは復職させないと言われて
ものすごく落ち込んでいた記憶があります。
今なら飛んで喜びますけどね(働きたくない)。
うつ病を受け入れてからは、それまでほとんど眠れていなかったのが嘘のように
初めの数日間は毎日泥のごとく眠りました。
それ以降は、また不眠症状が出はじめたので 睡眠導入剤を処方してもらいました。
休職することになってからは、母がほとんど毎日家にいてくれたので
日中は 自室ではなくリビングのソファに座って過ごすことが多かったです。
今になって考えると、母といられることがどこか支えになっていたのかもしれません。
母は私に対して、過剰に心配したり特別扱いをすることは一切無く 気楽でした。
まったく何も出来なくなって、自分でも何を考えているのかどういう感情なのかわからず
起きていてもひたすらぼーっとその場に佇んでいても 母は私を責めも慰めもしません。
母がいてくれる温かさを感じる時間が長くなったせいか、自室や入浴中などひとりになる時は
すごく心細くなりました。
涙が流れたり、突然ドキドキして苦しくなったり、漠然と怖くなったりして辛かったです。
落ち着けと自分に暗示をかけたつもりでも、反対に自傷行為をしてしまったり
そんなことをした自分に嫌悪感を抱いたりしました。
ある日、自分が無意識のうちにボソボソと独り言を言っていることに気づきました。
いつから始まったのかはわかりませんが、それまでには無かった変化でした。
また げっそりと痩せ細った私のために、母は毎日食事を用意してくれました。
食べたくない気持ちと作ってくれた感謝がないまぜになっていて、
休憩したりぼーっとしたりしながらかなりの時間をかけて食べていました。
しばらくして、ウサギのぬいぐるみが一緒なら家事や外出ができるようになりました。
そして外出の際、当時そこまで視力が悪くなかったのですが裸眼でいることが
自分をさらけだしているような感覚になっていて いつもメガネをかけていました。
後期
ある日の家族との食事中「働かざる者食うべからず」という言葉が頭を駆けました。
働いていないのに1日しっかり3度の飯を食う自分が情けなくて、
他の人は働いているであろう日中を何もせずすごすのがとてもしんどく復職を強く望みます。
心がどんなに疲れても夜は眠れなくなり、眠れても仕事の夢にうなされることがありました。
眠れないのは働いていないからだと ここでも思い、一刻も早い完治を目標にして焦ります。
そして図書館へ行き支えてくれる本と出会い、また運動のためフラフープを始めます。
▼本についてご興味おありの方はこちらもご覧ください。
これまで家族と会話するのもおっかなびっくりだったのに、できることが少しずつ増えたからか
ウサギのぬいぐるみを通して少しずつ家族と言葉で話せるようになりました。
また、恋人とも短時間であれば会いたいと思えるようになり公園などでときどき話しました。
だんだんと遠くまで行けるようになっていきましたが、
満員電車や大きな駅など人混みでパニックになることがあり長距離の外出は怖かったです。
▼紹介していたこちらの本でも、電車でパニックになる話が載っていて
他の人も同じように人混みが苦手になるのだなと感じました。
復職
主治医による復職許可
休職期間満了を控えた診察で、主治医から通常通り体調や症状の確認があったのち
「会社に戻れそうですか?難しければ休職延長の診断書を書きますね」と言われました。
私は休職期間が終わることをまだかまだかと待ちわびていたので戻ると即答しました。
そして主治医からの復職許可の文書を渡されました。
実は、戻ると即答した後ほんの少しだけ本当に復職して問題ないのかと考えました。
でも、既に傷病手当金などの振り込みもなくなり完全無給になっていたのに加え
休職延期になったことで周りにかなり状態が悪いのではと勘ぐられるのも嫌だし
これ以上同僚に迷惑をかけることが苦になり余計に仕事のことばかり考えてしまって
それこそ本格的に社会復帰が望めなくなるのではと思いました。
また、休職延長になればまた診断書代を支払わなければならないとも気が付き
復職の気持ちを後押しするものの一つになりました。
産業医による復職許可
主治医がOKでもすぐに会社には戻れません。
会社の産業医面談でも許可が出なければ引き続き休職指示が出されます。
病院からの帰り道、上司に主治医からの許可が出たことを伝え産業医面談を依頼しました。
後日上司から産業医面談の日時と場所の連絡が来て、久しぶりに本社に行くことになりました。
早く復職したいとばかり思っていたのに、会社に行くことも上司に会うことも不安で
会社のフラッパーゲートを抜けてから少し立ちすくみました。
でも、上司はこれまでと変わらず普通に接してくれたので心が落ち着きました。
産業医面談は1日のうちに数回(私個人、上司同席、上司のみ、上司同席…)あり
聞かれる内容は主治医よりも細かく追及されとても厳しかった印象があります。
今思えば、精神疾患で休養中の初めて会った人に対し復職許可を出す立場にある人ですから
簡単な質問では終わらせられないですよね。
そして数時間の産業医面談の末、業務制限を設けたうえで 晴れて復職許可が出ました。
この時に出された業務制限は、復職の条件になるものなので
絶対に破ってはならないと強く言われました。
そして産業医面談は1回では済まず、私は次回 数ヶ月後と言われましたが
上司と産業医の面談は週単位で複数回設定されており私の勤務状況を報告していました。
当時を振り返って
うつ病診断直後は、あの当時の何を見て何を考えているのかわからない様子から
今のゲラゲラ笑ってベラベラ話せる状態まで回復するとは考えつきませんでした。
母をはじめ家族や旦那さんのサポートのおかげです。
また、会社では私にノルマや業務量の負担を重く課していた上司でしたが
当時の私の異変に気付いて病院を勧めてくれたことにとても感謝しています。
今でも判断が難しいと感じるのは、復職できるか否かを問われる瞬間だと感じます。
きっと本当は、仕事をしていない自分に対する焦りによって
復職できると簡単に答えてはいけなかったのではないかと思います。
でも、既述のように休職延長を申し出たところで仕事のことを考えて苦しくなるのも想定できます。
どう言った基準で判断すれば良いのかはわかりませんが、
もっと率直に悩んでいる気持ちを主治医に聞いてもらっても良かったのかもしれないですね。
この続き、結婚後までのお話はこちらでご覧ください。
お読みいただきありがとうございました。