こんにちは。
今回はうつ病診断後の父の反応から記します。
▼母に伝えたときのお話はこちら
父への報告
父はなかなか受け入れられなかったようです。
そんなの気の持ちようだ!
うつと思うからうつになるんだ。
医者の言うことをまに受けて休んでないで早く仕事に行け!
さすがです。
私は父に顔も性格もそっくりです。
実際には気の持ちようとかでは全くなく、本当にしんどいですよね。
ですが、まだうつ病を受け入れきれていない私は父と全く同じ考えでした。
父は人事労務に関わる部署で長く働いていたこともあってか
精神疾患を含む体調不良に関して少し厳しい考えを持っていました。
私たちは考えが似ているものですから、うつ病に対して父から厳しいことを言われても
だよね。私もそう思う。
休んでる場合じゃないよね。
と言った具合でした。
休職開始
何はともあれ出勤禁止ですから、家で休むしかありません。
会社の決まりとして、
精神疾患の社員は特定の社員1名以外との連絡を遮断することになっていました。
そのため、心配する仲良しの同僚からの連絡も泣く泣く無視していました。
そうなってくると、本当に何もすることがありません。
はじめのうちは、仕事のことを考えたりうつ病になった自分を弱虫と責めたりする日々でした。
考えても仕事ができるわけではないですしうつ病になったものはしょうがありませんよね。
担当医の教えの通り「うつ病だもんしょうがない」と思うようにすると
びっくりするほど楽チンで これまでの自分とは思えないほどグウスカ眠りました。
家にはほぼ毎日母がいました。
今思えば、私が一人になるがゆえに仕事を調整してくれたのかもしれません。
昼過ぎに起きた私は、何もせず、何も話さず、時間の経過だけを感じながら夜を迎えていました。
仕事というある種の規制が無くなったことで、何もしないことに罪悪感が無くなりました。
動き出すための相棒
とは言え、何もしないのに3度の飯を食い、
テキパキ家事をこなす母をひたすら見つめる生活もだんだん苦になってきます。
クズじゃないか
働かざる者食うべからずとはよく言ったものだと思いました。
それから私は少しずつ動き始めます。
動くためには、相棒が必要でした。
ウサギのぬいぐるみです。
(アラサーの私が片時も離さずぬいぐるみを抱きしめている姿を両親は何も言わずに受け入れてくれていました)
初めは、ウサギさんを母の動かす掃除機の上に乗せてついて回りました。
会話するときは、ウサギさんを介して話してもらいます。
出掛けられるようになっても、常にウサギさんは一緒です。
「掃除機私がかけるよ」と言えるようになったのは、休養から1ヶ月前後経過したあたりでした。
母のサポート
ここまで気持ちが上向きになるのが早かったのは、ひとえに母のおかげです。
あれやれこれやれなんて全く言われませんでしたし、
(例:掃除くらいしろ、直す努力しろ、寝てばかりいるな、無理しても飯を食えetc…)
私が申し出たことを一つも否定することなく受け止めてくれました。
そして母はそれとなく、私の負担にならない言い方で様々な場所に連れ出してくれました。
- 牧場
- 動物園
- ドッグラン
- サービスエリア
- 農業センター
- 旅館
- 母の職場
…etc
特に、動物とのふれあいが楽しかったです。
「ウサギさんに本物のうさぎさんを見せてあげるんだ!」byアラサー
…
元気に走り回る犬や馬や動物たちをただひたすら見ていると
自分もあんな風に走りたいと感じました。
どんどん可愛い、楽しい、美味しい、、、といった陽の感情が湧いてきたのです。
働かないことへの焦り
少しずつ家事の手伝いができるようになってくると自分の存在を否定する感情が減りました。
また、やりたいことが徐々に増えてくると
早く復帰しないと
という気持ちも湧いてきます。
私は上司に「もう仕事に戻ります」と電話しましたがもちろん却下されました。
医師の判断に従いなさいと。
焦る気持ちをどうにかしたい!そこで私は、他の人はどうしているのだろうと疑問に思いました。
時間はたくさんありますから、近所の図書館に行きました。
そこには私の気持ちを前に向かせてくれた本がいくつかありました。
その本のお話はこちらでご紹介をしております。
お読みいただきありがとうございます。